読者に対し、コメント欄やmixiでいうトピックが「荒れている」と思わせている第三者の行動

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最近はちょっとした議論(もしくは言い合い、正しくは書き合いか)が発生しただけで、「ここは2ちゃんねるじゃありません」とか「荒れてますね…」なんて書き込みを目にすることが多い。でもちょっとまった。そのコメント欄やトピックって、本当に荒れているか?

「荒れている」のではなく、「荒れさせている」という仮説

これは実際に僕が管理しているコミュニティでも実感できたお話。

大抵の場合、「荒れている」認定されている書き込みなんてのは、ある議題に対して視点の違う人たちが意見の応酬をしている程度のものにすぎない。これって日常生活でだって普通にある光景だ。にも関わらず、それを読んだ人に「荒れている」と感じさせてしまう力というものがある。それが、まったく無関係の第三者が書き込む「荒れてますね」といったコメント類だ。

この「荒れてますね」という何も考えてないであろう書き込みは、読者に対して

「そうか、ここは今荒れているんだ」

という気持ちを芽生えさせてしまい、結果として本当にそのコメント欄を荒れさせてしまうのだ。某コミュニティにてコメント欄の流れをチェックすると、やはりコメントの過激さというのは「荒れていますね」というたった一言の後に増えてきているように思えた。これはつまり、 集団心理というものが働いているのだろう。

当然「荒れていますね」というのは、それを書き込んだ人の「荒れている」感に沿った本音・判断・解釈であるのかもしれない。しかしそんな個人の見解が「真の荒れ」を引き起こしてしまうとしたら、それははた迷惑な話以外の何物でもないのではなかろうか。

そういえば現実社会でも、「まあ落ち着いて」と声をかけるとなおさら興奮する人がいる。もしかしたらこれに近いのかもしれない。

荒れさせないためにできる簡単なこと

もしこの仮説が成立しているとするなら、荒れさせないために管理者ができる簡単な予防策が見えてくる。それは、おいそれと「荒れてますね」などと書きこませないことだ。もしコメント欄やコミュニティの管理で苦節している人がいるとしたら、ちょっと試してみてほしい。もちろん効果は保証できないけど。


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