【発見】一般的に子供好きなのと自分の子供がかわいいのは違っていた
育児をすると気がつくことが本当にたくさんあります。中でも最も痛感しているのは「自分は子供好きだ」と「自分の子供はかわいい」の間にある、決して超えられない高い高い壁です。この感覚、伝わるかな。
子供はとても好きです
そもそも僕は赤ちゃん・幼児含め子供がとても好きでした。1歳以下の子を延々とだっこしていても大丈夫ですし、2〜3歳の子と延々と遊んでいても大丈夫です。むしろ向こうの親がドン引きするくらい、長く、楽しく遊ぶことができていました。
なので「これだけ子供が好きな自分にとって、自分の子供ができたら、相当かわいいと思うに決まっている」と想像していました。これって、様々な子供の延長線上、その頂点に自分の子供がくると思っていたんですよね。
でも、とんでもなかったんです。まったく延長線上ではありませんでした。
唯一無二、比較対象など存在しない
そもそもスタート地点が間違っていたんですよね。例えば他人の子供が10かわいいとしたら、自分の子供は100みたいな、そんな認識だと思ってたんです。でもね、違うの。縮尺も、尺度も、感覚さえも。そもそも比べられない世界だってのは、自分の子供が生まれてみて初めて気がつけたんですよ。
そりゃ誰かの子供もかわいいし、身近な人や友達の子供ならなおかわいい。でも、でも、自分の子供のかわいさはその延長線上ではない。もっと別次元、いや、もしかしたらかわいいという言葉さえも不適格かもしれません。かわいいんだけど、かわいい以上の存在。愛しい?大切?自分の体の一部?もうなんと表現したらいいのかわかりません。それだけ唯一無二だし、絶対的な存在なんですよ、自分の子供って。
だから他人の子供が好きじゃなくても大丈夫?
で、思ったんですけど、これってもしかして「普段(一般的に言う)子供が好き」と「自分の子供が好き」ってあまりにもかけ離れすぎていて、むしろ関係ない概念なんじゃないかと。だから可能性として、子供がとっても嫌いだったり苦手だったりする人でも、自分の子供だったらかわいいを超えたかわいいを感じてしまうかも知れない、なんてことを考えたりもしました。もちろん、逆もまたしかり…なんでしょうね。
とにかく、まったくもって比較すべきものではない。そう思ったんですよ。これは本当に衝撃的で「目に入れても痛くない」という表現が存在するのもなんとなく理解できました。おそるべし、自分の子供。
のりおのまとめ
この…なんというか、いままでにない新しい感覚を覚える毎日が楽しいです。本当にのりたまちゃんが生まれてきてくれたことを感謝したい。そして、ついに自分ごととして実感しはじめた「僕が2歳の頃に死んでしまった母親」の無念さを思うと胸が痛いです。
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