青ヶ島 ヘリで上陸する幻の秘境フォトレポート。東京都青ヶ島村無番地を歩く【PR】 #tamashima #aogashima
夢にまで見た二重カルデラ。
まるで外界の進入を拒むかのような、厳しい自然との戦い。
そこは東京都青ヶ島村無番地。東京都最後の、いや日本最後の秘境といっても過言では無い、住民約160人の島「青ヶ島」へ上陸を果たしました。この記事では青ヶ島の主要観光スポットおよび青酎工場や島の居酒屋、住民との交流について写真を中心にレポートします。
*東京都多摩島しょ魅力発信事業の取材で、八丈島と青ヶ島を取材しています。
八丈島からヘリコプターで上陸する
八丈島と青ヶ島をめぐる旅の2日目は、東京都の誇る秘境、青ヶ島に上陸します。
(注:1日目はこちら)
青ヶ島は太平洋のど真ん中にある、外周10キロほどの小さな島で、実に東京都内からは南に358キロ。人口は160人ほどで、うち20〜30人ほどが島外から派遣されている公務員なので、実質純粋な島民は120人ほどということでした。
そんな青ヶ島の秘境たる所以は、その上陸の難しさ。
青ヶ島周辺の海流はとても荒く、小さな港に船をつけるのは、大変に難易度が高いのだとか。そのため、八丈島から週に4回しかない連絡船は欠航率が50%ほどとなり、下手をすれば1週間に1度も船から上陸できない、そんなことも発生するのです。
そもそも島に到達する方法は、八丈島からの連絡船「あおがしま丸」に乗るか、八丈島空港から1日1往復のヘリコプター「東京愛らんどシャトル」に乗るかの2つしかありません。船がこれだけ欠航する状況ですので、「この日に青ヶ島に行きたい!」と思ったなら、船での上陸は計算に入れない方が良いでしょう。
じゃあヘリはどうなんだ、というと、こちらは就航率が8割を超えるようで、基本的には「毎日飛ぶ」と思ってもらっていいようです。
ただし、席数はたったの9席。1日1往復ですから、上陸するにはこの9席を確保するしかありません。当然青ヶ島で暮らす人々、働く人々もこの9席を利用しますので、予約の取りにくい状況であることは、想像に難くないですよね。また、そんな連日満席御礼の状況でヘリが欠航した日には、次にいつチケットが取れるかは神のみぞ知る、という感じです。
そんな事情があって、青ヶ島は上陸が難しく、また離島することさえも困難。少なくとも数日は余裕をみた行程を組まざるを得ないという特殊な場所なんです。これが青ヶ島をより「秘境」たらしめているわけですね。
しかし!このような困難を乗り越えても、青ヶ島に上陸してみたい!という人は、後を絶ちません。アメリカのNGOによって「死ぬ前に見ておきたい絶景13選」にも選ばれ、いまや青ヶ島は世界から人の来る島になっています。それほどに、青ヶ島は魅力的で、人を惹きつける「なにか」を持っているわけです。
ヘリコプターで上陸しよう
さて、そんな青ヶ島への旅ですが、今回は幸いにして往復ぶんのヘリコプターのチケットを確保することができました。
参考までに、八丈島と青ヶ島との間には70キロほどの距離があって、連絡船の場合、片道が約3時間で料金は2,480円(燃料油価格による変動あり)。一方ヘリコプターは、片道約20分で、大人料金が11,530円。圧倒的にヘリの利便性が高いわけですが、料金は約5倍。とはいえ、確実に上陸したいなら、やはりヘリ以外の選択肢はないでしょう。
なおヘリコプターのチケットについては、基本的に就航を担当している「東邦航空」のサイトから予約することになります。キャンセル待ちをする場合は空港のほうに直接行くという手段もありますが、そちらは後述しますね。
ということで、2日目の朝は、早々に宿をチェックアウトし、八丈島空港へと向かいました。
こちらが八丈島空港の、東京愛らんどシャトル窓口。乗るための受付は就航の50分前から。
ここで気になる当日の空席キャンセル待ちは先着順。窓口前には、受付開始時間前から数名の行列ができていました。聞けばこれ、毎日の恒例なんだとか。ちなみにこの日は連絡船の運航がなかったため、より狭き門になっていたようです。
就航の可否判断は各便の出発1時間前。八丈島から青ヶ島へのフライトは9時20分に出発ですから、1時間前の8時20分には可否が決定します。ステータスとしては、まず間違いなく着陸できる「就航」と、場合によっては着陸しないで帰ってくる可能性のある「条件付き就航」、さらにはそもそも飛ばない「欠航」があるようでした。
この日は「就航」ということで、無事に飛ぶことができそう。安堵しつつ、ヘリの搭乗手続きを行います。
ヘリコプターには重量制限があって、基本料金で持ち込める荷物は5キロまで。八丈島〜青ヶ島間の場合、超過荷物は1キロにつき230円かかります。今回は4キロオーバーで11,530円に+920円かかりました。
どうしてもヘリで良い席を確保したかったので、1番に受付を行い、これまた1番最初にヘリへと乗り込みました。操縦士の方曰く、八丈島→青ヶ島ではヘリの前方左側の席が写真を撮りやすいとのことで、そこに座ります。
そういえばヘリも上昇/下降中は電波を発する機器の電源オフを求められます。さすがにヘリは初めて乗ったので、これは学びでした。
ヘリコプターのフライトは、なにもかもがはじめて。例えば搭乗場所からそのまま上昇すると思いきや、八丈島空港では滑走路の中央まで地上を自走し、そこで初めて浮き上がるという不思議な手順を踏みました。きっと安全性のためなのでしょう。
上昇時は飛行機と同じく前進しながら。よくあるイメージのように、垂直に上昇したりはしませんでした。そしてとにかくプロペラとローターの音が爆音です。パイロットさんと整備士さんが1名ずつ乗り込むのですが、コミュニケーションのためか巨大なヘッドフォンをするのも納得でした。
機内ではご覧の通り、航空機よろしく「禁煙ランプ」と「シートベルト着用ランプ」が存在します。「まもなく着陸します」みたいなアナウンスも存在します。
実際に空の旅は20分くらい。1分弱で上昇して18分ほど海上を進み、島までついたらまた1分弱で下降するという行程ですので、フライトのほぼ全てが水平飛行ですので、安定感があります。もっと怖い感じかなと思ったのですが、どうしてどうして、小さな飛行機のほうがよっぽど怖いよ!と思うくらいでした。高度もそこまでの高さではないので、海や陸が近く、飛んでいる事に対して不思議な印象を受けます。
離陸から10分ほどすると、だんだんと見えてくる青ヶ島。興奮を抑えきれません。青ヶ島が鬼ヶ島のモデルだ、という説があるそうですが、この外観を見てしまうと、あながち嘘ではないだろうなと思ってしまいます。
そうこうしていると、あっという間に青ヶ島に到着です。これが噂に聞く断崖絶壁。たしかに、港を作る余地がありませんね…(あとでわかったのですが、よーく見ると小さな海岸があって、昔はそこを使っていたんだとか)。
というわけで、この日はすんなりと青ヶ島に上陸成功!ここから約24時間(予定)の青ヶ島滞在がはじまります。
なにはなくともレンタカー
さて、青ヶ島に来たなら、絶対に必要なものがひとつあります。それはレンタカー。
島内にレンタカー店は2つしかなく、そのうちの1つがこちら、青ヶ島レンタカーです。
レンタカー料金 – 有限会社 青ヶ島整備工場 -自動車分解整備事業,青ヶ島レンタカー,青ヶ島運送,産業廃棄物収集・運搬,浄化槽維持管理,Good One事業-
24時間借りても、ガソリン代込みで5,000円弱くらいです。絶対に借りてください。ヘリコプターで飛ぶ前に連絡しておけば、ヘリ発着場まで迎えに来てもらえます。
で、なぜレンタカーが必要かといえば、青ヶ島は超絶に急な坂のオンパレードだからです。たとえばヘリポートからこの青ヶ島レンタカーの事務所まで行くのでさえ、激しいアップダウンを上り下りする必要があります。よっぽど足腰に自信があるというか、時間的余裕がある人以外は、おとなしくレンタカーを借りるのがいいでしょう。後述しますが、安全面からも、強く推したいところ。
ちなみに青ヶ島レンタカーをやっている会社は、島唯一の商店である「十一屋酒店」も経営しているほか、同じく唯一のガソリンスタンドや整備工場なども経営している、いわば「島のライフライン」的存在。聞けば、島の人のニーズに応じていろいろと取り扱いを増やしていったら、今のような便利屋的存在になったのだとか。この商店が止まると島の人の生活が止まります。
この日はちょうど1週間ぶりの荷物船が着いたということで、野菜が並んでおり、多くの人が買い物に訪れていました。前日まで棚がガラガラだったなんてことも知らず、ジョアを1本買って飲んでしまいました。貴重な島の子どもの分だったかも…すみません!
レンタカーを手に入れたら、まずはこの日の宿である「ビジネス宿 中里」さんに向かいます。なぜかといえば、昼食を受け取るため。青ヶ島にはランチを提供するような飲食店は存在せず、昼食は基本的に宿で用意してもらいます。なので、どの宿泊施設も基本は3食付きなんだとか。
中里の部屋はシンプルな6畳間。歯ブラシ、タオル、浴衣つきで安心です。共同トイレは温水洗浄のトイレ付き。共同浴場は男女別で、水圧も高く快適でした。
ちなみにこれから出かける!というタイミングで宿のおかみさんに手渡されたのは、小さな手提げバッグ。中にはお昼になるであろう食材がそのまま入っています。これ、いったいどうするのか?それは後でのお楽しみ。
宿の隣には、島唯一の郵便局が存在します。もちろんATMもついています。島で現金が必要になった場合は、ここに頼るしかありません。主にヘリや船が動かず、延泊する時に必要性が出てきそうな予感です。
そういえば、郵便局正面の道は「青ヶ島本道」と呼ばれる都道でした。この表示を見る度に、ここが東京都であるという不思議な違和感を感じるのです。
大凸部(おおとんぶ)へ向かう
宿を出て最初に向かうのは、島で最も有名な展望台「大凸部(おおとんぶ)」。標高423mで、島でも最も高い場所です。大凸部へ行くには、郵便局前の坂を上り、さらにこのY字路を左に進みます。ここもかなりの急勾配。
どこまで車で進んでいいのか?と若干不安になる道の幅ですが、気にせず進みましょう。ここ青ヶ島では、すれ違えない細さの道が標準です。
舗装路でなくなったなら、素直に車を停めて歩きましょう。未舗装路=自動車は進入禁止。そう思っておけば、おそらく危ない道を通るような事にはならないと思います。大凸部の場合も、車で入れるのはここまでです。
車を停めた後は、展望台まで10分ほどのライトトレッキング。主に天然の石を積んだ石段を登ることになりますので、靴は底が厚いものをオススメします。もちろんトレッキングシューズがベストだと思います。
しばらく進むと、道ばたには謎の鳥居が。
そして鳥居の先には、ものすごい急勾配と、これまた登るのがとても大変そうな、苔むした玉石による階段が。とてもじゃないですが、カメラを持ったまま登れそうにありません。ここはいったい?と思いつつ、スルーして展望台へと歩みを進めます。
石段を登り切り、しばらく歩くと、突然視界が開けて展望台に到着!
その展望台からの眺めがこちら!そう、これこそがずっと追い求めてきた青ヶ島の風景です!
世界的にも珍しい二重カルデラ
青ヶ島の代名詞でもあるこの地形は、いわゆる「カルデラ」が二重に発生している、二重カルデラというもの。そもそもカルデラとは噴火口にできる凹地のことですが、ここ青ヶ島では、島のほぼ全てが火山/噴火口であって、平地は1つの大きなカルデラのみ。さらにその中心部に小さな噴火口(中央火口丘)があって、その内側にカルデラが存在しています。ちなみに外側を外輪山、写真で見える中央の小さな山を内輪山(丸山)と呼びます。
大凸部から見えるのはその大きなカルデラの内部で、元々池があったことから、ここを「池の沢」と呼ぶのだそう。カルデラ内部の池の沢は平面で暮らしやすそうに見えますが、実はここに住んでいる人はほぼ皆無。その理由は1785年に発生した「天明の大噴火」で、もともとあった池が消失してしまい、これによって水を得ることができなくなった池の沢は、人が住めなくなってしまったんだとか。
ということで、民家は基本的に外輪山にしかありません。
そんな事情もあって、カルデラ内部にあるのは畑や工場ばかり。ちなみに緑の無い部分は崖崩れというわけではなく、地熱によって木の生えることができない場所なんだそう。そこには地熱を利用した施設があります。
大凸部には三角点もあったので、記念に1枚。
憧れていた風景にたそがれていると、地元の方が散歩がてら登ってきました。聞けば「休日のウォーキングコース」ということで、こうして眺めの良いところをはしごしているのだとか。そこそこのお歳に見えますが、あの急勾配を歩いて登っていることに驚きます。もしかして青ヶ島の人、みんな足腰が強いのかも。
ずっと見ていてもまったく飽きませんが、とはいえ滞在時間は1日しか無いため、先を急ぎます。次に向かうは、ちょうどこの写真の左側の峠にある「尾山展望公園」です。
尾山展望公園と東台所神社
尾山展望公園に行くには、大凸部から一旦中央道路まで下りて、尾山展望台への坂道を延々と登る必要があります。途中、島唯一の信号を通りつつ、再び急勾配の道をレンタカーで進みます。ちなみにこの信号、高校生になって小中学校しかない島から巣立っていく子ども達のため、教育目的で設置されています。島外に出るまで信号の仕組みを知らない、では困りますからねえ。押しボタンがついていて、押すとすぐに赤へと変わりました。
尾山展望公園への道へは墓地を抜けていきます。途中、車が入れるのはこの手前のやはり未舗装だった部分まで。ここからは徒歩ですが、大半は舗装されていて歩きやすいですね。ゆっくり10分ほど、急勾配の坂か階段を上ります。
バランスを崩したらどこまでも転がりそう、そんな角度ですよ。
展望公園には世界地図的なモニュメントがありました。青ヶ島を中心にしているのかな?モニュメントの向こうに見えるのは、ヘリポートです。
これが尾山展望公園からの眺め。大凸部よりも東側にあり、地熱で緑がはげている部分が目立たない景色でした。もう少し東側に行くと完全に緑色の眺めが得られるようですね。ここから見ると、丸山はまるでプリンのよう。
ちなみにこの特徴的な山の緑の流れですが、実は自然のものではありません。産業のための人工的な植栽なのです。ものすごい自然の青ヶ島にて、最も特徴的な丸山の見た目が人工的、というのも不思議です。
青ヶ島は外輪山が切り立った崖、その外は外洋!という特殊な地形であるがゆえに、こうして開けたところに来ると、外輪山の尾根近くに水平線が現れます。これ、よくよく考えるとなかなかに奇妙な光景です。本当に、よくこんな地形ができたものだ。
展望公園からは、尾根伝いに大凸部との間にある「東台所神社(とうだいしょじんじゃ)」へ行くことができます。実はここ、先の大凸部でスルーした、ものすごい斜度の階段の先にある神社です。あちらのコースは難易度が高すぎるということで、こうして展望公園からは階段で行けるように整備されたみたいですね。
こちらがその神社。ここまで来ておいてアレですが、じつはここ、少しだけいわくつき。その昔、失恋の腹いせに(正確には風習による男女の引き離しだったと聞きました)島民を何人も殺した後に自害した「浅之助」という人物がおりまして、彼が悪霊となって祟りを起こさないよう、こうして祭って鎮めているのだそうです。
ただし!今ではその逸話もポジティブに捉えて「縁結び」の神として崇められているんだそうですよ。
神社と展望台から下山する途中、向かいの山の斜面にこのような光景がありました。実はこれ採水用斜面でして、雨水を溜め、浄化して生活飲料水にするための施設になっています。他の離島のように中央部に高い山があれば、そこから梺に向かって水が湧き出すと思うのですが、ここ青ヶ島は地形的な特性もあって、わき水が出ないのだそう。そんなわけで、こうして水をため、生活用水へと変化させているのですね。とはいえ、旅行中に水で苦労することはありませんでした。技術の進歩によって、心配ないレベルで水が使えるような状況にはなっているみたいですね。一方で、昔は苦労したであろうことが想像されました。
東京都青ヶ島村無番地
ところでこの水の設備の工事看板を見ていて、面白いことに気がつきました。わかりますか?
実はこの青ヶ島、住所は全て「東京都青ヶ島村無番地」なのです。住所はあって無いようなもの。ではどうやって郵便物や宅配物が届くのか?実は、名前だけでダイレクトに届くのですね。人口の少ない離島ならではの小ネタですが、なんだか粋に感じるのは僕だけでしょうか。
青ヶ島の生命線「三宝港」
尾山展望公園の次は、青ヶ島の生命線でもある「三宝港」へと向かいます。島の反対側にあるので、外輪山を下山し、池の沢をぐるりとまわるルートです。池の沢から港へ抜けるためには、外輪山に穴を開けた青宝トンネルを通過します。
本来こちらは旧道だったのですが、外輪山の尾根を抜ける新道が土砂崩れによってふさがってしまったため、今はこちらが唯一のルートとなっています。ちなみにトンネルはギリギリ2台がすれ違える幅を持っているのですが、さすがに写真のクレーンとはすれ違えませんでした(笑)トンネル中央くらいから2〜300mバックして、入り口までもどって待避。ものすごく申し訳なさそうにしているクレーン運転手とアイコンタクトを交わして、再びトンネルへ進みます。なお後で聞いたところでは、このクレーンは1週間ぶりに入港した船の荷役用クレーンだとのことです。
そして、トンネルを抜けると目の前はすぐ三宝港でした。
そこに現れた光景は…
奇妙な歪みを見せる立体的なコンクリートの壁。
コンクリート。コンクリート。コンクリート。まるで要塞です!
どこまでもコンクリートの壁。
ほぼ垂直にそびえる切り立った崖(外輪山の外側)にへばりつくように、三宝港はありました。コンクリートに囲まれて。
なぜそこまでコンクリートが?という答えは、港のすぐ脇にあります。ちょうどここがコンクリート舗装の切れ目なのですが、わかりますか?舗装が無いところは、地肌がむき出しになっています。
これ、崖が崩れているところ。舗装をしていない部分は容易に崩れてしまうのです。
実はこれ、青ヶ島そのものの作りに由来しています。二重カルデラに代表されるとおり、青ヶ島はその全てが火山です。となると、大地を構成するのは…そう、堆積した火山灰ですよね。こうして作られた崖の表面は、とてももろく、ちょっとしたことで崩れてしまうのです。外輪山の外側のように、海からの強烈な風にさらされているような場所であればなおさらのこと。
実は青ヶ島に来てもらった地図には、ところどころに「×」印がついていて、それは行き止まりを示すものでした。中には島の生命線にもなりそうな外輪山の尾根を回る大きな道路もあったんですが、そちらもあえなく崖崩れ。三宝港の予備として作られた港へ抜ける道も、あえなく崩れてしまい、その港はほとんど使うこと無く閉鎖されてしまったという話も聞きました。
つまり青ヶ島で生きるということは、この崖崩れとの戦いになるわけです。
中でも、どうしても、どーーしても崩れてほしくない場所があります。それがここ、三宝港なのです。当然です。ここにつく船が、島民の命を支えているのですから。
この異様ともとられかねない光景は、まさに島民と青ヶ島との戦いの跡なのです。コンクリートはいわば「封印」。観光スポットと言っていいのかどうかはわかりませんが、必見の場所であることは間違い無いでしょう。ちなみにこの工事、現在進行形です。
ところで三宝港には、このように大型のクレーンが存在します。
大型の見慣れないフックがついています。
実はこれ、荒れる海から船を引き上げて、保管しておくためのもの。青ヶ島では、一般的な港のように船を係留しておくことがかなわないのです。
大量に積まれたテトラポッドが海の荒々しさを裏付けます。
「消波ブロック」という一般名を、この時ほど実感したことはありませんでした。
自然の驚異を乗り越えてそこに住み続けること。三宝港ではそんなことが学べた気がします。この人工的な絶景とともに。
お昼は「地熱釜」で食べよう
さて、三宝港での圧巻の光景を目にした後は、お昼をとることにしました。
ここでついに明かされるのが、「ビジネス宿 中里」さんでもらったランチボックスです。
中身はこのような感じ。お皿とハシに、生卵、ソーセージ、干した魚の切り身、芋類。さらに中里特性の魚の塩辛。ほかにおにぎりが2個。
もちろんこのままでは食べられないものばかり。どうするかといえば、青ヶ島の地熱を利用した「地熱釜」を使います。
地熱釜では、この釜の蓋をあけ、蒸したいものを中に入れます。
そして釜下部にある赤いコックをひねると…「シュー」という音とともに、高温の蒸気が噴き出します。これで蒸し料理を行うわけですね。利用料金はかからず、24時間自由に使えます。釜の近くには屋外休憩所もあって、屋根の下でイスやテーブルを使って食事がとれます。
ところで蒸しの所用時間ですが、冬場では玉子、魚、ソーセージは15〜20分、芋類は30〜45分くらいがベストかな、と感じました。
待っている間には隣にある「ふれあいサウナ」がオススメとのことで、向かってみます。
が、あれ?開いてない…。
利用時間は14時からでした。今回はまだ13時ですので、サウナはスキップです。
サウナの隣には、青ヶ島の名産でもある「ひんぎゃの塩」を作る事務所がありました。ひんぎゃとはこの地熱からの水蒸気が出る穴のこと。「火の際=ひんぎゃ」だそう。
あの大凸部で見た、緑のない丸山の壁面がこの「ひんぎゃ」のある場所となっています。確かにこれでは樹木が育ちません。実際大地に触ってみると、あったかいのです。この冬にも関わらず!
とりあえず車の中で蒸し上がりを待っていると、同じく「中里」へと前日から泊まっている夫婦が来ました。聞けば、なんと今日はおかずが異なっている!とのこと。どうやら中里さんでは、初日が僕の食べたセット、2日目はシューマイなど、蒸しおかずに入れ替わったセットになるようです。3日目以降はどうなるのか?ちょっと興味がわきました。
待つこと15分。まず最初の蒸し料理ができあがりました。玉子の殻は高温になっていますから要注意。
食べてみると…おおお、どれもおいしい!こころなしか味が濃い!ひんぎゃの塩が甘辛くてうまい!
特に絶品だったのが、この芋。地熱釜でふかすと、こんなにおいしいの!?というくらいに、黄金色でふんわりほくほく、驚くほどに絶品でした。これは青ヶ島に来たら必ず試してほしいランチですね。
なお、この蒸しランチを頼みたい場合は、宿を予約した時に伝えておくのがいいそうです。
丸山のお鉢周りと「御富士様」
蒸しランチで満腹になった後は、そのまま丸山を登ってお鉢周りを決行します。お鉢周りとは、火口のまわりをぐるりと1周することです。
これが丸山の遊歩道案内。車ではこの遊歩道の入り口まで来ることができます。遊歩道はぐるりとまわって30分ほど。途中に「御富士様」と呼ばれる、この地区では重要な神社があるとのこと。
遊歩道を上るとすぐこのような杭立てがあります。実は周回ルートなのでどちらへ向かっても戻ってこられるのですが、富士様のところに展望台があるので、晴れた日であれば先に「御富士様」のほうを選ぶと良さそうです。
道を進むと、まずは丸山の展望台が見えてきます。
展望台からの眺めがこちら。山の尾根の切れ目に、少しだけ水平線が見えるのが面白い。
残念ながら丸山のカルデラには入れないようですが、上から見る限りは、とても素晴らしい場所に見えますね。ツルに巻かれた木々がなんとも生々しい。
展望台のすぐ脇には「御富士様」と呼ばれる神社が。旧来の信仰による生活の弊害(女性の行動に制限がかかるなど)を取り払うため、ここに祠を作って神の怒り(=噴火)に触れないよう気を使ったという歴史があるそうです。
その際、清められたもの(=海のもの)ということで、大変な困難を冒してまで小さな海岸に下り、この丸くなった石を拾ってきてはこちらに供えたのだとか。
いわれについてはこんな感じ。
そもそも青ヶ島は特殊な神事・信仰の強い島で、女優の篠原ともえさんの祖母が青ヶ島の巫女であるという有名な話がありました。実際、青ヶ島の中では何度も彼女の名前を目にしました。
青ヶ島の観光は、青ヶ島が歩んできた歴史や考え方と表裏一体なんですね。各地をめぐればめぐるほど、島についてどんどん詳しくなっていきます。長崎のほうにいくとそういった文化と観光が一体となった離島もあるわけですが、東京都の離島としては、青ヶ島が傑出してそういった趣が強いように思えます。僕はこういう文化と観光が一体化しているの、好きなんですよね。
御富士様を後にし、このような道!?を30分ほど歩くと、丸山のお鉢まわりは終了。とても気軽にチャレンジできていいですね。
飛び込みでも対応してくれた「青ヶ島酒造」
実はこの日は夕方から嵐の予報で、そろそろ宿に戻らなければ…と思っていたんですが、ここで地図を見ていて1つの気づきが。あれ、宿の裏手、青酎の酒造じゃないですか?
徒歩10分かからないくらいですね。酒造を見学するとき、歩いて行けるかどうかってのは大変に重要です。試飲がまず間違いなくありますからね。
ただしここで問題が。実は、酒造の見学方法が良くわからなくて、申し込めていないのです。宿で聞いたところ、事前に宿を通じて予約するのが一般的なんだとか。こんなことを今聞いているくらいですから、当然申し込んでいません(笑
僕の旅の経験的に…こういうときは、飛び込みです!
行ってみればなんとかなるんじゃないの!?というのが、大事なんです!
そんなわけで来ちゃいました、青ヶ島酒造に。
ここで少しだけお勉強を。青ヶ島では、働きに出ている旦那さんのために、奥さんが自家製のお酒をつくるという文化がありました。それがいわゆる青酎です。まだおおらかだった時代、島の家庭のほぼ全てが「自家製酒=青酎」を作っていたわけですね。もちろん各家庭事に少しだけ異なる原料、レシピ、味で、どこそこのだれの酒がうまい、なんてこともあったみたいです。
時は流れまして、酒税法の関係などもあって、おいそれと自家製酒が作れなくなりました。いわゆる「密造酒」になってしまうからです。そのため青酎は存在そのものが危ぶまれることに。
そこで作られたのが、この青ヶ島酒造合資会社です。いままで各家庭で作られていたお酒を、生産担当者が杜氏となり、青酎はこの建物内だけで造るというルールに変えました。こうすることで、酒造りの免許は会社が取得し、また生産量も正確に申告できるようにして、法的な問題をクリアしたのです。
という話を教えてくれたのが、青ヶ島酒造の事務局を担当されている奥山さん。杜氏の2代目です。
飛び込みでうかがった僕にも嫌な顔ひとつせず、むしろ寄ってけ寄ってけ、くらいの勢いで見学させてくれました。青ヶ島、人が暖かい!
ここで奥山さんの話を聞いて、青酎の秘密もずいぶんと理解することができました。
まず現在ですが、杜氏は10人。元々が各家庭の味ですから、一族ごとに秘伝のレシピを代々受け継いでいるそうで、まさに十人十色の味わいができあがるそうです。それぞれ製法・原料も微妙に異なるのですが、基本的には「青酎」とひとくくりにして売られているのがユニークですよね。また、元々は奥さまが作っていた酒でありつつも、今では男性杜氏のほうが多くなったところに、時代を感じます。
青酎は全部で10杜氏14銘柄なのですが、うち6銘柄においてはパッケージも同じ。そのため、ボトルには必ず杜氏の名前が入っています。ちなみに「菊池正」さんは、ビジネス宿 中里のオーナーさんでした。
この青酎は基本的に芋焼酎で(2種類だけ麦焼酎もある)、杜氏によっては可能な限り島内の芋を使っています。原材料ばかりか、ものによっては麹まで島内のもの。どういうことかといえば、島特産の植物である「オオタニワタリ」などに付着した天然の麹を利用して、もろみを作っているのです。かみ砕いて言うなら、作る時ごとに、異なる麹菌によって醸しているわけですね。そりゃ年ごとに味わいも異なるわけだ!
ちなみにこちらがオオタニワタリ。かなりレアな植物なんだそう。
製法に関しては詳しくは青ヶ島酒造のWebサイトに載っています。
AO-CHUの文化 | 杜氏の数だけ個性がある AO-CHU(青酎・あおちゅう)
いままで様々な酒造、蒸溜所、醸造所を訪ねてきましたが、天然の麹を使っているところなんて初めてですよ。これが青酎の味の秘密だったのか…!と、大変に腑に落ちた次第です。
こちら「青酎伝承」と「喜久一」いう銘柄が、原材料含めて青ヶ島100%のもの。製法も昔ながらの「伝承」づくり。確かに青酎の中でも際だって個性的でした。
この「佐々木宏」さんの名前は、この後にも出てきますので要チェック。
この奥山直子さんが、事務局の奥山さんの先代だそう。代替わりしたら、ここに奥山さんの名前が入るわけですね。
今回、青酎の14銘柄を全て試飲しましたが、本当に「これ全部同じ『青酎』なんですか?」ってくらいに味が違います。熟成年数でもかなり変わってきますし、先の天然麹のものなど、同じお酒かどうかも怪しくなるほどに味が変わってきます。これ、青ヶ島に来たら絶対に体験したほうがいいですね。なんだか樽ごとに味わいの変わるシングルモルトウイスキーを試しているような楽しさがありました。青酎、面白い!
もちろん工場内の見学も実施。といっても、初冬から始まる仕込みは、2月上旬のこの時期ではほぼ終了済み。
唯一最後まで作っていたのが、ビジネス宿 中里さんでした。これはもろみね。
先ほどのもろみをこの小型蒸留器に入れ単式蒸留することで、青酎が生まれます。実際には蒸溜した後、しばらくは熟成して、味を落ち着かせてからの出荷になるそうです。
生産量ですが、杜氏によってばらばらで、最小に至っては500本いかないほどなんだとか。元々家庭用のお酒ですもんね。そりゃおいそれと流通しないわけだ…。
それにしても、奥山さんが親切すぎる。青酎に誇りを持っている感じがビシ!バシ!と伝わってきて、なんとも気持ちのいい工場見学ができました。何度もいいますが、これはマスト!いくら天気が悪くても実施できるので、絶対に来たほうがいいです。できれば仕込みのある冬がいいですね。繰り返しますが、基本的には予約時に宿を通じて申し込みです!
中里で夕食。そして居酒屋「杉の沢」へ
工場見学後は中里へ戻り、入浴後に夕食を。
じゃーん。新鮮な刺身、島寿司、あしたばのおひたし、鶏肉の照り焼き、そしてその他小鉢と、先ほど仕込んでいた「青酎」です。青酎は別料金になりますが、普通に販売している額よりずいぶん安かったですね。
菊池さんの青酎(正確には「あおちゅう」だそう)は、とろりと甘く、飲みやすいのが特徴。とはいえアルコール分30%もあるんですよね。これは危険なお酒だ…。
ゆっくりと食事を取って、一旦部屋に帰った後は、青ヶ島名物?である居酒屋に…と思っていましたが、なんと行こうと思っていた最寄りの「もんじ」は日曜日定休!とのことで、この日はやっていませんでした。
そんなわけで、もう1軒の「おじゃれ 杉の沢」に向かいます。中里からはだいたい徒歩5分くらい。
こちらは島の居酒屋というか、スナックというか、不思議なお店でした。
酒はもちろん青酎。佐々木宏さんのやつです。
よく見ると壁には佐々木宏さんのポスターが。あれ、プロの歌手?
新鮮なタコのフライがおいしい。もぐもぐ。
隣に現地のおじさんがやってきてこんばんは。そうなんです、今日だけ泊まるんですよーなんて話をしていると、杉の沢のおばさまが
「いま飲んでるお酒造った人だよ」
と教えてくれました。えええ?佐々木宏さん?歌手の?
ところがこの佐々木さん、歌手どころではありませんでした。なんと青ヶ島の元村長で、実に10年以上も職をつとめたのだそう。おおお、まさにこの島の生き字引的存在ではありませんか…!
その後は島についての話をいろいろと聞かせてもらいました。プライベートな話も多かったのでここには載せられないのですが、少なからず島についての理解は深まりましたね。
自分の歌を熱唱する佐々木さん。ちなみにこちらのお店では、カラオケの点数に応じて「カラオケポイント」がたまって、商品と交換できるという制度があり、歌う人はほぼ全員「ガチで狙ってくる」とのことで、なかなか楽しいスポットだなと思いました。もう1箇所の「もんじ」にもカラオケがあるようで、青ヶ島の居酒屋はカラオケボックスも兼ねている感じですね。
終盤は小腹が減ったので特性のやきそばを注文。これがめちゃくちゃうまい。「杉の沢」ではタコとやきそば。覚えた。
こうして青ヶ島の夜はふけていくのでした…。
のりおのまとめ
夢にまで見た青ヶ島では、ありのままに保たれる自然の光景と、そこで自分達の生活を成立させる島民との、不思議な関係を目の当たりにできました。島の人との交流もありました。残念ながら「日本最強クラス」と言われる星空は天候の都合で見られませんでしたが、たった1日の滞在でも、存分に青ヶ島イズムを感じることができましたよ。
さあ、明日ははやくも青ヶ島から離島です。外はものすごい風。果たしてヘリは飛ぶのでしょうか?3日目のレポートに続きます。
1日目のレポートはこちらです。
絶景温泉と星空の国。羽田から45分。東京都のリゾート「八丈島」をめぐる冬の旅 【PR】 #tamashima #hachijojima #tokyoreporter #tokyo
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絶海の孤島・青ヶ島だけで代々醸されてきた幻の焼酎 AO-CHU(青酎・あおちゅう)
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