マンガのビニールカバーに想うちょっとした寂しさと解決への提案
わりと、というか、かなり好きな浅野いにおの最新作を買いました。3月に出てたみたいなんですが、地震で買い忘れてたわけです。
これは書店で買ったんですけど、その時は何とも思わなかった「ビニールカバー」の罪について、家に帰ったら気がついたんです。そこらへんをつらつらと。
買うときは何とも思わなかった
最近の書店って、かならずついてますよね、ビニールカバー。恐らく立ち読み防止だとか、汚れ防止だとか、まあいろいろな理由で付いていると思うのです。そういえばあれ、書店で付けていますよね。作業を見るに「大変だなあ」っていつも思っていました。
で、それって買うまではがされることがない。でも買う時って
- ビニール付きで渡す
- お金払う
- 店員さんビニールはがす
- 店員さん梱包する
みたいな流れだから、いままで気にもとめなかったんです。
でもね、今日
を買って、家に帰ったら表紙がざらざらしていることに気がついたんですよ。何加工と呼ぶのかはわからないんですけど、「あっ」って思いましたね。
装丁には意味があるだろう
浅野いにおのこのマンガは、まさに「ざらざら」している青春マンガだったわけです。もう一生スッキリしないと思う。ずっとざらざら進んでいくんだと思う。ざらざら。
そう考えると、やっぱり装丁と内容の関係って大事だと思うんですよ。このマンガは、読んでいる間ずっとざらざらした装丁を味わいながら読むんです。それでこそこの単行本の意味が出てくるんです。いや、勝手にそう思っているだけですけどね。
で、仮にそういった本があったとき、買う前に装丁の手触りが確かめられないのは、とてももったいないというか、これは失礼なことなんじゃないかと思うんですよね。
表面に触れる工夫が欲しい
装丁って、装丁担当の方が考えて考えて、考え抜いて、デザインから紙質までこだわって設計していると思うんです。その意図の何%かがビニールのために失われている状況って、ちょっと悲しい気がします。
ということで提案。ビニールの一部に除き穴のような穴をあけて、表紙に触ることが出来るようにしてみてはどうですかね。その部分だけ汚れてしまう…という危惧も出てきそうですが…。見本があっても良さそうですけど、ロットの少ない商品や小さなお店には厳しいよなあ。なんでもいいから表面に触れる工夫が欲しいですね。
とにかく装丁ってものは「見て、触ってなんぼ」だと気がついた次第です。ただでさえ装丁家は、背面のバーコードが1列増えたことで、その分のデザイン的制約に苦しんだと聞きます。彼らの意図を阻害しない仕組みが生まれることを、願ってやみやせん。
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