【蹴日】日本人がACミランの10番を付けることがどれだけドリームなのか、について
色々なことが手に付かなくなるくらいのドリームなニュースが出ましたね。
>速報: ガッリアーニCEO「本田は2014年1月入団」 | AC Milan
もう100%確定と言っていいはずです。
せっかくなので、これがどれくらい凄いことなのかを、30年来のサッカーフリークとして簡単に語ってみようかと。
誰もがミランを目指した時代
まず最初に共有しておかなければいけないこととして、ミランは国際タイトル獲得数で世界ナンバーワンだということです。それだけの歴史と伝統、そして実力があるクラブが、このミランです。
その歴史についていまさらここで語る必要は全くないのですが、チャンピオンズリーグ7回優勝、スクデッド(国内リーグ優勝)18回などなど、輝かしい経歴を誇っています。とうぜんながらファンも多く、世界中にサポーターを持つ典型的なビッグクラブと言えそうです。
そんなミランの代表的なイメージといえば、間違いなく80年代後半、アリゴ・サッキが監督を務めていた時代でしょう。サッキの完成させた当時の最新戦術「ゾーンプレス」を軸に、スーパースターであるルート・フリット、マルコ・ファンバステン、フランク・ライカールトのオランダトリオ、さらにイタリア最高のDFであるフランコ・バレージが織りなすサッカーは、まさにそれまでのものとは別次元で、僕にとって「強くて美しい」サッカーといえば、やはり当時のミランなのです。
また、ここで最盛期が終わらなかったのが当時のミランたるところで、その後カペッロがイタリア代表トリオのパオロ・マルディーニ、アレサンドロ・コスタクルタ、デミトリ・アルベルティーニらを率いて、クライフ率いる黄金期のバルセロナを4-0で叩きつぶした試合などは語り種となっています。あのプライドの高いクライフをして「勝てない」と言わせたチームは、ミラクル以外の何物でも無かったでしょう。
とにかく、僕にとってのミランといえば、この時代の印象が余りにも強いのです。
マンガの領域に達した本田圭佑
その後、浮沈を繰り返しつつ、いまだイタリアにおけるビッグクラブとして君臨しているのはみなさんがご存じの通りです。残念なことに、ここ数年のミランは以前のような輝きを放っているとは言い難く、現地をはじめとしてサポーターのフラストレーションが溜まっていると耳にします。だからこそ、その救世主として本田に白羽の矢がたったことは、驚くべきことである以上に、誇らしいことであります。
しかしながら、そのミランの伝統ある10番を日本人の本田圭佑が担うなど、実感がなさ過ぎるわけです。前述のフリット、ポルトガルのレジェンド ルイ・コスタ、名門アヤックスをして「最高傑作」と呼ばせた怪物 クラレンス・セードルフ。みな、国の英雄だったり、その時代のレジェンドだったりするんです。そんな彼らの系譜に本田が並ぶんなんて胸が熱くならないわけがない。
そう、これはマンガです。マンガの中で、主人公があれよあれよというまに成長し、最終回近くでミランの10番を背負って世界と戦う…そんな一コマです。本田圭佑は、想像力で作られたマンガの領域に達したのです。この偉業以降、マンガにおいて「日本人がミランの10番」はなんらインパクトを持たなくなるでしょう。
ということで
思えば長い道のりでした。様々なゴシップや失望を経て、ついにミランまで達した本田。彼にとってのゴールはレアル・マドリーかもしれませんが、まずはミランでひとつのインパクトを見せて欲しいと願います。がんばれ、本田圭佑!