【3月11日の記憶.02】静岡の災害時帰宅訓練に感謝をした、その日の17時

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(前記事よりの続き)
[A] 【3月11日の記憶.01】渋谷から埼玉への徒歩帰宅を決めるまでの2時間。

渋谷の出先オフィスより歩いて帰ることを決意した僕は、帰る際の装備をチェックすることにしました。

というのも、静岡県では「災害時徒歩帰宅訓練」というものがあり、大地震を想定した帰宅訓練がしっかりと行われているからです。そこでは、単に徒歩で帰ることを想定するのではなく、必要な装備や道の選び方、心構えなどがセットで教育されます。

不安な靴、重量を取るかバッテリを取るかのPC

まず最初に不安を覚えたのは、靴です。幸か不幸か、この日の靴はおろしたてのビルケンシュトックの革靴でした。当然ながら長距離の徒歩を想定した装備ではありません。いくらビルケンとは言え、おろしたばかりの靴で30キロも歩けるものか?と不安になりました。しかし、行くしか無い。最悪は途中で靴を買おうということにしました。

なおこの時点で走って帰るかどうかも検討しましたが、残念なことにこの日は片掛カバンだったため、それはやめました。

何より大事だったのは「30キロを歩いて帰る」という決意をしたことです。心が揺れた状態だと、おそらく最後までたどり着けません。もちろん状況に応じて考えを変えるのは大事ですが、まず強い決意を自分に対して行いました。

次に考えたのが、カバンに何を入れていくかです。この非常時ですから、何が起きるかわかりませんし、荷物が増えれば体力を奪われますので、取捨選択は重要になります。

最も悩んだのが、モバイルPCの扱いです。レッツノートを使っていたのですが、これをカバンに入れて帰るかどうか、とても悩みました。カバンに入れると重さと歩きにくさがデメリットとなるわけですが、なにより携帯のためのバッテリーとして使えるのが大きなメリットであるように思えました。もし今後、余震などの影響で停電がくるとしたら、バッテリーを持っているのは大事なことです。

そこで、ノートPCは持って帰ることにしました。重さよりもリスクマネジメントをとった形ですね。

 

帰り道を考える

次に行ったのが、帰り道を考えることです。当然ながら渋谷から大宮など、徒歩で帰ったことがありません。原理的には国道をたどることで帰ることができるのは知っていますが、効率がいいかどうかは別です。特に静岡にいたころの教えでは、次の項目を特に注意して帰り道を策定するように教えられていました。

・頭上の危険
・建物の危険
・足下の危険
・道の明るさ
・高低差

頭上の危険に関しては、残念ながら都内では避けることが難しいと考えました。ヘルメット等あればよかったのですが、残念ながらその日は持っていませんでしたので、これは諦めました。

建物に関する危険も、建物の中には入らないものの、脇を通る時の倒壊の危険性は避けることができません。ただしこれは広い道を歩くことで相殺していこうと考えました。ただし、脇には首都高が走ります。高速道路が倒壊してきたらあきらめる、そんな気持ちでした。

足下の危険に関しては、Twitterを調べる限りでは、帰り道の近隣で液状化現象・地割れなどが起きているという情報はありませんでした。ここに関しては安心ですが、ガラスなどには注意して帰る必要がありました。道の明るさについては、さすが都内ということで、幹線道路を帰り道に選ぶことで問題でなくなりました。最後に高低差ですが、これもさすが関東平野ということで、今回の問題にはなりませんでした。

まとめると、帰り道で危険なのは、頭上からの落下物と、建物の倒壊など、ということになりました。

以上のポイントをふまえて、Googleマップから帰り道を作ります。この時はGoogleマップのありがたみを感じました。

ルートは完全に王道で、渋谷から明治通りを通って池袋まで行き、そこから122号に入って王子を経由し、産業道路を経て大宮まで行くプランです。これなら道は明るく広い状態が保たれており、なにより歩道があります。また大きな道沿いにはコンビニもあるので、何か困った時に安心だと判断しました。

最後にもういちど帰り道を確認して、オフィスを後にします。オフィスのみなさんとは「次に会う時までお元気で!」という挨拶をかわし、決意を胸に明治通りへ向かいました。

 

(続く)

 

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