【3月11日の記憶.03】荒川を超えての20キロ。レミングスな僕ら 21時

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(前記事よりの続き)

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明治通りに出ると、歩道は既に人、人、人でごったがえしていました。道路は大渋滞で、車の速度より早歩きしたほうが速いほど。よく見れば、すでに課金を放棄しているタクシーもたくさん存在するようでした。

勝手の違う表参道

渋谷から新宿までの道は歩き慣れたものでした。しかしその日は勝手が違いました。とにかく歩道は人が多く、それぞれの人の速度が違うため、とても歩きにくい状態でした。言うなれば、花火大会の帰りが延々と続いているようなものです。

経験則ですが、こういった状況では過剰に疲労するのが目に見えていました。歩くなら一定のペースで歩かなければ、とても埼玉まで帰ることなどできません。ましてや、まだスタートしたばかりです。

そこで、表参道の交差点辺りから歩道を放棄し、車道の白線の内側を歩くことにしました。基本的には車も速度が出せないため、危険は感じませんでした。むしろ危険なのは自転車で、そこそこの年の方がふらふらと進んできた時は危険を感じました。彼らは逆走なども気にせず、人の波にも遠慮無しに突っ込んできます。本当に迷惑でした。

長蛇の列の先には

さて、歩道の脇には時折人が行列を作っている店舗がありました。ひとつはランニングシューズを取り扱っているスポーツショップ。革靴を履いたサラリーマンが、歩きやすい靴を求めているのでした。思えば僕も重たいビルケンではなく、この時点で軽いシューズに変えておけば良かったのですが、それは後の祭りでした。

また、自転車屋にも長蛇の列ができていました。普段なら見向きもされないようなママチャリが飛ぶように売れていました。僕も自転車の購入は考えましたが、どこかで自転車が足を引っ張りそうな気がして、購入はやめました。この判断が後ほど生きてくるのですが、それはだいぶ後になってからの話です。

新宿、池袋と超え、122号線に入ったあたりで辺りが暗くなりました。王子ではここまできてはじめて駅が開放されており、トイレ休憩を取ることができました。他のJRの駅は固くシャッターが閉ざされており、正直なところ、怒りを禁じ得ませんでした。せめて休憩所として解放してくれれば良いのに。その想いに応えてくれたのは王子駅だけでした。もちろん事情はあるでしょうけど。

王子駅では、人々がタクシーやバスに長蛇の列を作っていました。聞けば、翌日の朝まで列は消えなかったとのこと。恐ろしいことです。ちょうどこのタイミングで、妻と電話で話すことができました。妻は歩いて足立区にある実家に向かっていました。お互いの無事を確認できたことで少し気持ちは楽になりました。この時点で、歩いた距離はだいたい13キロくらい。まだ1/3を過ぎたばかりでした。

王子から北上しはじめると、いろいろと問題が発生してきました。ひとつは歩道の歩きにくさです。この辺りの歩道はアップダウンが激しく、やはり歩道を歩くのは体力的に危険であると判断されました。そこで、引き続き車道を歩くことにしました。

全てを奪い去っていった新荒川大橋

王子を超え、赤羽を超えた辺りで、今回の徒歩帰宅最大の難所がやってきました。それは新荒川大橋です。橋には、まるでレミングスの大軍かのように大勢の人がぞろぞろと向かっていました。橋のヤバイところは、道がほそいうえに強風にふかれることです。予想どおり、橋の上は大混雑で、ノロノロとしか進むことができません。なんせあの細い道で大勢のひとがすれ違わなければならないわけで、この大混雑も仕方がない感じでした。そのうえ、寒い。とにかく寒い。橋の上を通過するのに30分以上かかったのですが、僕の体はすっかり冷え切ってしまい、また橋を超えた瞬間から激しい疲労に苛まされることとなりました。

正直なところ、橋を越えるだけでこんなに体力を消費するとは想いませんでした。なので川口まで着いた段階で、少し休憩することにしました。気がつけば昼からなにも口にしていません。この時点で21時前ですから、そりゃ疲労も空腹も感じます。

とはいっても、まともに休むところもありませんでした。ちなみに川口の駅前も大勢の人がバス・タクシーを待っていました。こちらも翌日の朝まで続いたそうです。

この段階で、休むならアリオ川口へ行こうかなと思い始めましたが、せっかく埼玉県にまで入ったのだから頑張ろうと思いなおし、再び歩き始めました。すると、目の前で人を降ろしたタクシーが!

「これだ!」

と思い駆け寄る僕。

しかしタクシーの運転手のこたえはつれなく「これから都内まで戻るので」とあしらわれてしまいました。残念ながら、この出来事で疲労がピークを迎えます。下手な希望はもたないほうがいい、とは教訓ですね。

仕方が無いので、また北へと歩きます。ただし速度はいままでよりもずいぶん落ちていました。この速度では、家に着くのが12時を回ってしまうかも知れない。そんな不安も少しずつ増してきました。

そんなことを思っていた21時20分。ちょうど川口警察署の真正面で、こんどこそのタクシーをゲットすることができました!

タクシーに乗って、はじめて座ることができた気がしました。しかも車内は暖かく快適でラジオまで聞くことが出来ます。

こうして徒歩帰宅は約4時間、20キロ弱の徒歩で幕を閉じたのでした。

(続く)

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Posted by norio nakayama